オリカの魅力を語る。何故このIT時代にアナログな事に力を注ぐのか
オリカを作る事は楽しい!そしてこのオリカは決して企業には作れない!断言しよう!オリカは機械には作れない!!
いくらAIが発達しようとこれは普遍的であり、絶対に変わる事がない。
人それぞれに違う想いがあり、作り方がある。
つまり人それぞれに創造性がある。
それがオリカであり、それがオリカの魅力だ。
それをこの記事では伝えたい。
オリカとは
オリカとは、オリジナルのデザインによって作られたカードの事として本記事では意味する。
wikiを引用すると、二次創作/製作品のカード群の総称である。通常は「オリカ」と略されることが多い。とある。
これが影響してか、オリカ=レプリカとか、偽物というレッテルが印象として強い。
更に逮捕者まで出ている事から、よく知らない人間には犯罪者の様な扱いをする物までいる。
では、何故そんな印象の悪い物をやり続けるのか。
そしてアイテルは何故それを広めようとするのかを話していきたいと思う。
人の手で作られる事の意味
前述した通り、オリカは機械には作る事は出来ない。
何故なら機械は人間より正確で、ミスを犯す事が無い。従順に従い、大量生産を可能にするからだ。
つまり、大量生産ができる以上それはオリジナルでは無いという事になる。
世に一枚のカード。それがオリカであるなら、大量生産が可能なそれは製品ではあってもオリカとは呼べない。
人の手で一枚一枚作るからこそ、一枚一枚違う表情を見せてくれる。それがオリカである。
もっと深く話すと、それを誰が作ったかと言う部分が大きく関係する。
作り手による価値の違い
例えば、誕生日に友人からプレゼントをもらったとしよう。それは人気キャラクターの絵が使われた、キーホルダーだった。
もちろん嬉しいだろう。そのキャラクターが自分の好きなキャラクターなら尚更に。
そして、その友人はこう言った。
「手作りだから出来悪いかもしれない。気に入ってもらえたら嬉しいけど。」
友人の手作りか、なるほどちょっと作りが悪いな。
うん、いらない。捨てよう!
そんな奴はいないだろう?!
(いないよね?いないって言って!悲しくなるから!!)
普通に考えて、喜ばない人間はいないだろう。
そこには価値があるから。
それが世に一つしかない宝物という事。
これは機械には絶対不可能な事。
しかし、この後その友人がこんな事を言ったらどうだろう。
「誰が作ったかは知らないけど、手作り品らしい」
え??!ってなるよね。
なんでそんな物くれたの?ってなるよね。
貰った物の質も形も何も変わってないのに、誰が作った物か、どんな想いで作られた物か、それがわからないだけでも価値は変わってしまうわけだ。
これがオリカには重要な事だと私は思うわけだ。
だから、ある程度権威がある。もしくは、大好きな人が作ったかどうか、と言う部分が大きいのではないだろうかと私は思うわけだ。
オリカの魅力を何故広めるのか
私は影響力を持ちたいと思っている。
「オリカといえばアイテルさんだよね。」と言われたい。そうならなければいけない!と言う信念で日々活動を続けている。
そして、それ以上に私はこのオリカを誰から貰いたいかという事を強く考えている。
それが愛する人、つまり大事な人から貰える事が一番の幸せだと言う事なわけだ。
私には娘がいる。もちろん嫁もいる。
娘は、まだ小さいがオリカには関心があり。何度か一緒に作っている。もちろん私へプレゼントもしてくれた。
とても嬉しいし、一生の宝物だと感じている。
しかし、残念ながら我が嫁は、私の活動を良くは思っていない。辞めて欲しいとも何度か言われた事もあるのが事実だ。
だからこそ、この愛する人からもしこの手作りの品を貰えたらと考えた時、本当に生きていて良かったと思えるんじゃないかと思う。
それも、私がこの活動を続けたいと思う一つの要因でもあるわけだ。
同じ様に、この手作りの品を貰った人は絶対に、喜んで貰えると私は信じている。
だから、誰でも簡単に作れる様に広めていきたいと思うのだ。
デジタル化する未来にオリカは必要なのか
世の中は益々デジタル化が進み、人の手を必要としない時代が加速している。
便利になり、後何年かすれば人が仕事をしない時代が来るとまで言われている現在。
アナログなこのオリカは、必要性がなくなるのではないか。
そう思う人は少なくないだろう。
しかし、実はそうではない。
そもそも、カードという物は今も昔も変わらず、生活の中に何も生み出す事がない物なのだ。
そんな無意味な物を何故生み出し続けるのだろうか。深く考える人は、ほとんどいないだろう。
無駄な物にある価値
「そんな無駄な事してないで働け!」とか
子供の頃なら「無駄な事してないで勉強しなさい!」かな。
そんな風に言われた事はないだろうか。
無駄とは何なのだろう。
調べてみると、 【役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと】とある。
では、誰がそれを決める事ができるのだろう。
例えば、ゲームばかりしている子供に親が言ったのだとしよう。
知っているだろうか。去年からeスポーツ元年としてeスポーツが本格的に始まった事を。
「エレクトロニック・スポーツ(electronic sports)」の略称。で多くの企業がスポンサーとして、参入する世界的に最も盛り上がっているスポーツと言える。
将来は、サッカー選手になりたい!野球選手になりたい!というのと同じ様に、将来はeスポーツ選手になりたいという若者がどんどん増えて行くのは間違いない。
むしろ、eスポーツ選手の方が圧倒的にスポンサーの力が大きい。スポーツという分野でもデジタル化がその勢力を強めているわけだ。
話が逸れたが、そんな風に世の中の常識は常に変わっている。
アップデート出来ない親が、子供に自分の頃の常識を押し付けて、その子の未来を良い方向に導く事など出来るのだろうか。
つまり、無駄な事と思うのはその人の中の勝手な価値観でしかないのだ。本当の価値はもっと別のところにあるのだ。
やり続ける事に価値がある
実は私自身も正にその経験をしている。
誰かが言った言葉に惑わされ、自分を見失うほどつまらない事は無い。
今では、そう思える様になっている。
しかし、人のせいにしてはいけない。
確かに無駄だと言われたのは事実だが、それを受け入れ、自分には無駄な事なんだと決めたのは紛れもなく自分の心だ。
何事も必ず最後は自分が決める。人に言われた事だとしても、最後に決め、動かすのは自分の心だ。
自分で目標を決めたなら、自分で新たな目標を見つけない限り変えてはいけない。
間違っているかもしれない。それを誰かに指摘されるかもしれない。しかし、間違うまではその目標に向かって続ける事が大事なのだ!と私は思う。
たとえ間違ったとしても、それは経験という財産になる。その経験が別の新たな何かを生むためのきっかけになるのだから。
まとめ
生きていくために必要かどうかと言われると、全く必要ではないカード。
そのカードは私がまだ幼少の頃からある。描かれている物は違えど、その形状はまるで変わりがない。
何故この進化をほとんどしない物にこれほど愛着が湧くのか。
実のところ、その理由は私にもわからない。
しかし、間違いない事がある。私はカードが好きで、そんな好きな物を自分の手で作れる事がとても感動的で、とても嬉しい。
そして、そんなカードを欲しいと言ってくれる人はたくさんいる。私の思いを、私は多くの人と共有したいと思っている。
オリジナルでカードを作る事が出来ると知らない人は、世の中にはまだまだ多くいる。
そんな人達にオリカの素晴らしさ、楽しさを伝えたいという思いで、今私の活動はある。
最後まで読んでいただき大変ありがとうございます。これから、更に活動の幅を広げていきますので、これからもよろしくお願いします!